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町を彩る歴史テーマ その2 羽前街道

宮宿・永野宿・猿鼻宿
(みやしゅく・ながのしゅく・さるはなのしゅく)

羽前街道にはぐくまれた、人々の暮しの舞台

 町内の羽前街道の宿場は宮(みや)・永野(ながの)・猿鼻(さるはな)の三ヶ宿です。いずれも火災や道路整備、家屋の建て替えなどによって昔ながらの情景を残すところはなく、辛うじて道筋や土地割などに宿場の雰囲気を感じ取れるのみですが、羽前街道によってはぐくまれたわが町の歴史を語るときに、これら宿場の存在を省くことはできません。

宮 宿:奥州・羽前両街道の分岐点で、いつ成立したのかは不明ですが、刈田嶺神社が所在することから、この地域は古くから「宮」と呼ばれていました。江戸中期には78軒の町屋が並んでいました。近代以降は商家が多く、土蔵や店蔵などが多く残されています。

永野宿:かつては宮〜川崎間には宿場がなく、往来不自由にして治安も悪かったので、慶長7(1602)年に永野・猿鼻両宿が新設されました。円田からの里道と羽前街道との丁字路を中心とした宿場で、江戸中期には49軒の町屋がありました。

猿鼻宿:永野宿同様、慶長7年新設の宿場です。町屋18軒という仙台藩内最小の宿場でしたが、四方峠(しほうとうげ)越えの山道を控えた重要な宿場でした。後世、「猿」が「去る」に通じるため縁起が悪いことから外し、さらに「鼻町」では字面が悪いことから「花」の字を充てて、「花町」と呼ぶようになりました。

昭和2年の宮町の風景。店蔵が軒を連ねる。当初より道幅が広く、側溝を隧道(ずいどう)化して歩道とした以外、現在に至るまで拡幅しないまま使われ続けている 永野宿。町場北から。町場の外れには数々の碑が建立されている
猿鼻宿。鍵の手に折れる道筋が宿場ならでは。町境に石仏が見られる


所在地 蔵王町 宮(宮宿)・永野(永野宿)・花町(猿鼻宿)
所有者
公開日 いつでも
料 金 無料
アクセス 宮宿:ミヤコーバス「宮」停留所
永野宿:ミヤコーバス「永野」停留所
猿鼻宿:ございんホールより自動車で8分
駐車場 なし
現地までの案内表示 なし
現地での説明表示物 なし
見学のための手続き 特にありません。ご自由にご見学下さい。
(個人所有地には立ち入ることなく路上より町の風景をご見学ください)
見学地の整備状態 未整備
※地域の歴史形成における羽前街道の役割を説明するためにご紹介しています。
※伝統的建造物群などの文化財的価値の高い地区として保存されているわけではありません。

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