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刈田嶺神社絵馬(一部) |
絵馬は、現在では神様に願をかけるとき、あらかじめ願い事を書き込んで奉納するものですが、昔は願い事が成就したときに返礼として額絵を奉納していました。刈田嶺神社は刈田郡総鎮守として地域住民の崇敬を集めていたため、江戸時代以降多くの絵馬が奉納され、拝殿内に懸額(けんがく)されています。画題は「御神馬(ごしんめ)」「日本神話」「著名人」「名場面」「瑞祥(ずいしょう)」などがありますが、刈田嶺神社は白鳥信仰(しらとりしんこう)の中心地であったことから、「白鳥」を画題としたものが多いのが特徴です。多くは江戸時代中期と後期~幕末期のものですが、これは、享保3年(1718年、江戸中期)に本殿が、文政10年(1825年、江戸後期)に拝殿及び随身門が建立されたことにちなんで、絵馬を奉納する機運が高まったためなのでしょう。
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番号 |
名称 |
画題分類 |
寸法
(縦×横・㎝) |
奉納者 |
奉納年 |
年代 |
1 |
白鳥(つがい) |
白鳥 |
150×190 |
不明 |
文久3(1863) |
江戸幕末期 |
2 |
松に朝日 |
瑞祥 |
75×90 |
不明 |
享和3(1803) |
江戸後期 |
3 |
楠木父子桜井の別れ |
名場面 |
139×200 |
不明 |
安政1(1854) |
江戸幕末期 |
4 |
亀 |
瑞祥 |
87×101 |
不明 |
慶応4(1868) |
江戸幕末期 |
5 |
群馬 |
御神馬 |
106×152 |
不明 |
安政2(1855) |
江戸幕末期 |
6 |
鳶飛魚躍 |
文字 |
45×135 |
大泉 奏 |
大正5(1916) |
近代 |
7 |
三歌仙(押絵) |
著名人 |
152×230 |
不明 |
嘉永7(1854) |
江戸幕末期 |
8 |
猩々舞 |
瑞祥 |
84×123 |
不明 |
明1(1868) |
近代 |
9 |
白鳥(つがい) |
白鳥 |
173×212 |
不明 |
寛延?(1748~51) |
江戸中期 |
絵師『周良』 |
10 |
手形『大砲万右衛門』 |
手形 |
72×102 |
岡崎佐太郎
後藤三治郎 |
明治40(1907) |
近代 |
11 |
日本武尊東国を望む |
日本神話 |
115×132 |
伊東與兵衛
他五名 |
文化7(1810) |
江戸後期 |
12 |
軍書授受図 |
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78×91 |
片倉瀧口景貞 |
文化7(1810) |
江戸後期 |
絵師『朝倉波綾』 |
13 |
牛若丸鞍馬山修行 |
名場面 |
167×120 |
不明 |
不明 |
不明 |
14 |
飾り馬 |
御神馬 |
177×213 |
不明 |
元文4(1739) |
江戸中期 |
修復師『遠藤木工右衛門秀安 三辺助左衛門直純』 |
15 |
土蜘蛛退治 |
名場面 |
85×126 |
米竹三治郎安
米竹和藤治 |
天保8(1837) |
江戸後期 |
絵師『藤原英意』 |
16 |
松に朝日 |
瑞祥 |
76×91 |
不明 |
文政12(1829) |
江戸後期 |
17 |
日本武尊東国を望む |
日本神話 |
183×272 |
矢内太郎左エ門
定祥 他四名 |
天保?(1830~44) |
江戸後期 |
絵師『英意』 |
18 |
牛若丸
鞍馬山修行 |
名場面 |
147×172 |
米竹和助安定
他九名 |
嘉永6(1853) |
江戸幕末期 |
絵師『呉陵』 |
19 |
高砂 |
瑞祥 |
121×169 |
大黒屋兵助
他九名 |
慶応3(1867) |
江戸幕末期 |
絵師『法橋春洋』 |
20 |
白鳥(つがい) |
白鳥 |
136×197 |
当村
鈴木兵三郎定行 |
明治27(1894) |
近代 |
絵師『渓泉』 |
21 |
白鳥(親子) |
白鳥 |
115×152 |
不明 |
己亥 |
? |
己亥は1777/1838/1899 |
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所有者 |
: |
刈田嶺神社 |
所在地 |
: |
蔵王町宮字馬場1 |
指定年月日 |
: |
平成18年3月10日 |
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拝殿内に安置されていますので、通常は公開されていません。 |
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関連する文化財 |
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