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仙台真田氏と真田幸村の関係を公にした、記念すべき遺構

 真田幸清筆子塚

真田幸清筆子塚
右肩部に『左衛門佐幸村十世 真田源太左衛門滋野幸清』の刻字が見える。

 仙台真田氏第八代当主幸清は、実は仙台真田氏分家信知(のぶとも)の長男です。文化6年(1809)、宗家の七代目当主信凭(のぶより?)が病没、後継がいなかっため宗家の養子となり家督を相続しました。

 安政2年(1855)、幸清は刈田郡矢附村の真田氏在郷屋敷において寺子屋『真田塾』を開きます。科目は読書と習字、文久2年(1862)の時点で門弟50名が在籍していました。真田塾の開校期間は8年間で、文久3年(1863)に閉校しました。

 明治4年(1871)、幸清が死去。その翌年、矢附村川原畑に幸清の筆子塚が建立されました。当時、寺子屋や習い事の師匠が亡くなると、その門弟たちによって筆子塚と呼ばれる供養塔が建てられることがありました。幸清の筆子塚も真田塾の門弟たちが建てたものです。

 この碑には『左衛門佐幸村(さえもんのすけゆきむら)十世』と刻まれています。260余年の長きに渡り秘匿(ひとく)してきた幸村との関係を、明治の世となってようやく公表することができたのです。この筆子塚は、単に幸清の功績を伝えるものであるばかりでなく、仙台真田氏の歴史にとってきわめて重要な転換点〜『幸村の血脈を伝える一族であることの公表』を示すものなのです。
 ※幸清の読みは正確には伝わっておりません。この度は仮に「ゆききよ」と読みました。
 異論等あるやもしれませんがご了承下さい。
※幸清の家督相続代数は8代目ですが、この筆子塚では10世となっています。これは、仙
 台真田氏初代は片倉守信(真田大八)であり、幸村を基準にした場合は1代加算され、さ
 らに4〜5代目間の廃嫡男子(信広)も1代として加算しているためと推測されます。

矢附川原畑の石碑群 矢附川原畑の石碑群と青麻山
かつては道端に並んでいたが、現在はひとまとめに並べ直されている。奥の中央が筆子塚。 矢附地区から西を望む。遠方の山は青麻山。その麓が旧曲竹村。仙台真田氏の領地を概観する構図です。


見学メモ
所在地 蔵王町大字矢附字川原畑 (ミヤコーバス『松川橋』停留所から徒歩10分)
所有者 個人
公開日 いつでも (個人宅の入口にあります。宅地内への立ち入りはご遠慮ください)
料 金 無料
駐車場 なし
現地までの案内表示 なし
現地での説明表示物 説明板
見学のための手続き 特にありません。ご自由にご見学下さい。
見学地の整備状態 普通

真田幸村墓碑  片倉守信墓碑  阿梅ノ方御位牌  阿梅ノ方墓標  三井氏墓碑
我妻佐渡墓碑  真田幸清筆子塚  真田豊治墓碑  真田喜平太墓誌銘

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