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『六文銭』の家紋が付された、幸村三女阿梅の御位牌
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美しい装飾が施された阿梅ノ方御位牌。厨子(入れ物)の内面も総金箔貼です |
真田幸村には、四男九女合わせて13人の子がありました。阿梅(おうめ)は慶長9年(1604)生まれの第6子五女です。慶長20年(1615)、大阪落城の折に片倉家に保護されて白石におもむき、元和6年(1620)に城主片倉重綱(後重長と改む)の後室(後妻)となります。重綱37歳、阿梅17歳のときのことでした。
天和元年(1681)、阿梅死去。享年78歳。夫重長に先立たれて後22年、大阪の陣で非業の死を遂げた父幸村と、大恩ある夫重長の菩提を弔い、冥福を祈り続けた歳月であったことでしょう。阿梅は白石城下当信寺に葬られました。法名は泰陽院殿松源壽清大姉(たいよういんでんしょうげんじゅせいだいし)。以後、当信寺は、阿梅の菩提寺として功徳山泰陽院当信寺と号するようになりました。
御位牌は金箔貼、端整で美しい装飾が施されており、法名も彫り文字と、工芸品として見ても非常に優れたものです。江戸時代初期の仙台藩重臣の高い格式をうかがわせると同時に、遺された人々の、阿梅を偲ぶまごころが伝わってきます。
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御位牌の額面部分 |
御位牌の台座部分 |
額面を囲む装飾に、真田家の家紋『六文銭』が付される |
繊細な彫刻に、遺された人々のまごころがにじむ |
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御位牌を安置する当信寺 |
現本堂は阿梅百五十回忌を営んだ仮堂の材を用い、天保2年(1831)建立 |
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見学メモ
所在地 |
白石市本町62 当信寺内 (JR東日本『白石駅』から徒歩5分) |
所有者 |
当信寺 |
公開日 |
非公開 |
料 金 |
− |
駐車場 |
なし |
現地までの案内表示 |
なし |
現地での説明表示物 |
説明板 |
見学のための手続き |
非公開 (今回、特別に写真公開のお許しをいただきました。通常は公開する性質のものではございませんので、所有者様へのお問合せ等もお控え下さるようお願いします) |
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