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幕府の警戒を恐れたか? 幸村の墓碑は無銘の自然石
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何の彫りもない墓碑。後世建立の標柱に折鶴が供えられている。 |
仙台真田氏は、江戸時代には真田信尹(さなだのぶただ)の後裔を称していたので、幸村の墓を建てることはできませんでした。しかし白石城内で養育された幸村の女子たちは、ある程度公に幸村の菩提を弔うことができたようです。慶安元年(1648)、五女阿梅(おうめ)が幸村の菩提所として月心院を建立しました。また、白石城下当信寺に墓碑を建立したと推察されます。
また、天下が落ち着いた後に白石に呼び寄せられた九女阿菖蒲(おしょうぶ)は、旧三春領主田村氏の後裔・片倉定広に嫁し、寛文4年(1664。異説あり)に死去して白石市福岡蔵本の田村家墓所に葬られました。阿菖蒲の墓碑は夫定広の墓碑の隣にありますが、その隣に幸村の墓碑と伝えられる無銘の墓碑が建っています。建立時期は不明ですが、阿菖蒲が生前幸村の遺髪を埋葬して建立したものと伝えられています。当時は、片倉守信(真田大八)が真田氏を名乗ったことに幕府が疑念を抱くなど、未だ幸村の印象を強める行為は憚られたのでしょう。父を偲ぶのに無銘の墓碑を立てるのが精一杯だった幸村の遺子たちの想いが伝わっています
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田村家墓所 |
真田父子の墓碑 |
うっそうとした林の中に広がる墓域。正面左端が阿菖蒲の墓 |
左が幸村、右が阿菖蒲の墓碑。それぞれ昭和23年建立の標柱が前立ちとなっている。
昭和初期、この幸村墓碑は一種の観光名所となっていたことから標柱が付設されたものと思われる |
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見学メモ
所在地 |
白石市福岡蔵本 田村家墓所内
(白石市民バス『蔵本』停留所から徒歩5分) |
公開日 |
いつでも |
料 金 |
無料 |
駐車場 |
なし (田村家墓所入口の道路は行き止まりとなっており、路上に駐車できるスペースがあります。通行の妨げとならないように注意し、自己責任で駐車して下さい) |
現地までの案内表示 |
案内標識あり |
現地での説明表示物 |
なし |
見学のための手続き |
特にありません。ご自由にご見学下さい |
見学地の整備状態 |
良好 |
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