守信の一族が再び『真田』の名字を名乗ることができたのは、1712年、守信の息子、辰信が57歳のときのことでした。
幸村公が亡くなってから97年もの歳月がかかって、やっと『真田』復活がかなったのです。
今でも、私たちの郷土には、幸村公の子どもたちや、守信の子孫たちにまつわる古文書や記念碑、お寺やお墓などがたくさん伝えられています。
400年という長い時の流れの中、徳川家の追及をかわすため、一度は途絶えたことにされた幸村公の家柄。しかしそれは、秘かに私たちの郷土に根付き、育まれて今日にいたるのです! |