幸村公が亡くなった時、幸村公には2人の男の子がいました。
長男の大助は幸村公とともに合戦で亡くなったため、残ったのはわずか4歳の次男大八ただ1人。
家康の命をおびやかした幸村公は、徳川家から見れば大罪人! その血を受けつぐ大八を、生かしておくわけにはいきません。
しかし徳川家は、どうやっても大八のゆくえをつかむことはできませんでした。
それもそのはず。大八は4人の姉たちとともに、合戦の騒ぎにまぎれて伊達政宗の重臣、片倉重綱のもとに送り届けられていたのです!
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