大八たち5人の姉弟は白石城主をつとめていた片倉重綱に育てられました。
4人の姉たちは『片倉重綱が幸村公の姫を育てている』と天下に知らせて、白石城で堂々と育てられました。
やがて、五女阿梅は重綱の妻になりました。
四女お弁と七女おかねも結婚して白石を離れ、幸せに暮らしました。
また、大坂での合戦が終わった後も京都で暮らしていた九女阿菖蒲も、白石に招かれて結婚し、幸せに暮らしました。
でも、お姉さんたちとは反対に、大八が育てられていることは秘密でした。
幸村公の血をひく男子の大八は、徳川家に見つかれば殺されてしまうに違いありません。
それに、大八をかくまった片倉重綱や伊達政宗も、徳川家に滅ぼされてしまうでしょう。
だからこそ、大八を育てていることは、絶対に秘密にしなければならなかったのです!
※2014年7月18日、一部改訂しました。改訂内容は以下のとおりです。
改訂前
改訂後
阿梅の生れ順について
三女
五女
四女お弁について
存在が確認されておらず、未掲載
阿梅や大八たちと一緒に白石にやって来た、幸村四女として掲載
おかねの生れ順について
六女
七女
阿菖蒲について
阿梅や大八たちと一緒に白石にやって来た、幸村七女として掲載
大坂夏の陣の後も京都に暮らし、やがて、片倉重綱と阿梅に招かれて白石にやって来て、いったん重綱と阿梅の養女となった上で、旧三春田村氏の末裔である片倉定広と結婚した、幸村九女として掲載
<目次>
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