あ ん よ う じ さ ん ど う あ と ほ ぞ ん ち く |
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だるま塚 |
江戸末期、平沢に五十嵐ぶん水(いがらしぶんすい)という西洋の産科医学を身につけた医者がいました。しかし、庶民には西洋医学を受け入れるだけの教養がなかったため、ぶん水は、庶民になじみ深いだるま様の教えに医学知識をおりまぜて広めようと、安産だるま講をおこしました。講はたちまち広まり、一時は仙南一帯から福島県まで多くの信者を得ました。
平沢字丈六の安養寺(阿弥陀堂)参道跡には、だるま講の聖域があります。臨月の妊婦の腹をかたどったご神体「だるま塚」を中心に、経文や人生訓に混じって安産のための知識が刻まれた石碑がいくつも並んでいます。他に例を見ない医学知識普及の遺構で、ぶん水の知恵と工夫が偲ばれます。 |
※五十嵐ぶん水の「ぶん」は、さんずいに文と書きます。
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所有者 |
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蔵王町 |
所在地 |
: |
蔵王町平沢字丈六78-1 |
指定年月日 |
: |
昭和55年3月28日 |
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いつでも見学できます(塚の上には登らないようにしましょう)。 |
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