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町を彩る歴史テーマ その1 奥州藤原氏

平安時代の終末期、奥州に覇を唱えたみちのくの王 この地にも、百年にわたる支配の足跡が残されています

 奥州藤原氏は、初代清衡(きよひら)がおよそ930年前に陸奥・出羽両国の実権を握って以来、四代にわたって奥州の盟主として繁栄した一族です。平泉を拠点に、奥州各地の要所に一族や重臣を配して、強固な支配体制を形づくりました。

 藤原氏は仏教をあつく信仰したことでも知られています。当時は阿弥陀如来への信仰=浄土信仰が隆盛しており、藤原氏も阿弥陀如来を深く信じ、平泉に中尊寺・毛越寺(もうつうじ)・無量光院(むりょうこういん)など多くの寺院仏堂を建立しました。また、平泉の地だけでなく、一族がおもむいた奥州各地においても、阿弥陀如来像をまつることがありました。

 文治5(1189)年、源頼朝(みなもとのよりとも)率いる鎌倉の軍勢が奥州を攻めました。これに対して、藤原氏は国見の厚保樫山(あつかしやま)に防塁を築き、兵2万騎をもって迎え撃つもわずか1日で敗退、刈田郡内で散発的な戦いを繰り広げながら平泉へと後退していきました。藤原氏四代当主泰衡(やすひら)が討たれ、およそ100年にわたる藤原氏の奥州支配が最期を迎えたのは、同年9月3日。厚保樫山の戦からわずか20日あまりのことでした。

 東北地方各地に大きな影響力を及ぼした奥州藤原氏。私たちの郷土にもその足跡が残されています。その足跡をたどると、この地が、彼らにとってきわめて重要な地だったということが浮き彫りになります。



一戦場・根無藤 平沢弥陀の杉 丈六阿弥陀如来坐像
根返しの桜 白九頭龍古墳

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