あ が つ ま け じ ゅ う た く |
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主家 広大な茅葺屋根や、基礎周りの石基壇・石階段が目を引きます。建坪は100坪を超え、50畳敷の茶の間をはじめ、いくつもの座敷が設けられています。 |
我妻家は鎌倉時代から代々続く旧家です。もとは上野国吾妻本郷(こうずけのくにあがつまほんごう、現在の群馬県吾妻郡)の武士でしたが、後に曲竹村に領地を得て当地に引き移りました。武家から農家となったのは、戦国時代末期のことです。江戸時代には、村はもちろん刈田郡でも有数の豪農としてたびたび肝入(村の代表役員)を勤めました。また、木綿や紅花など多くの品物を扱う豪商としても、その名を知られました。また、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて刈田嶺神社の禰宜(ねぎ、神職のひとつ)を勤めたことから、現在でも禰宜屋敷と呼ばれています。
我妻家住宅は、江戸時代中期の宝暦3年(1753年)に建てられました。正面約38mという大きな萱葺民家は、江戸時代の百姓屋敷の標準を大きく上回る規模を誇り、我妻家が百姓という身分を超えて重んじられていたことをうかがわせます。
指定文化財の古民家は数多くありますが、たいていは建物だけが保存されているのが現状です。そんな中で我妻家住宅は、主屋を中心に数々の蔵や門、そして宅地までもが指定を受けて保存の対象となっており、江戸時代の豪農の暮らしぶりを今に伝えてくれます。
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前蔵 刈田郡の備荒蔵として文化7年(1810・江戸後期)に建てられました。当時の我妻家当主源三郎は、資金として金75両を寄付したのをはじめ、蔵の建築・運営に力を尽くしました。 |
内部のようす 土間は39坪あります。柱や梁は、木材の自然な曲がりを利用して巧みに組み上げられています。 |
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屋敷地のようす 中央に主家が配置され、その背後に文庫蔵、穀蔵、板蔵があります。表門の脇に前蔵があり、前面には土塀が巡ります。屋敷地の背後は立派な囲久根(いぐね・屋敷林)に守られ、前面には農地が広がります。 |
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所有者 |
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個人 |
所在地 |
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蔵王町大字曲竹字薬師前4番地 |
指定年月日
及び指定物件 |
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昭和46年12月28日 重要文化財指定:主屋・文庫蔵
昭和55年 1月26日 追加指定:前蔵・板蔵、附 穀蔵・表門・萬年記・宅地 |
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重要文化財我妻家住宅 一般公開の休止について
令和3年2月13日、令和4年3月16日に発生した福島県沖地震(蔵王町:震度6強)により主屋・文庫蔵・穀蔵・前蔵の土壁に亀裂・崩落等の被害が発生し、見学等に危険を伴うことから当面の間、一般公開を休止しております。
※現在、災害復旧(壁修理等)および保存修理(屋根葺替等)工事を実施しています。
重要文化財我妻家住宅災害復旧・保存修理工事リーフレット(令和4年度版,PDF形式) |
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所定の公開日のみの公開となります。敷地内はガイドボランティアがご案内いたしますので、見学を希望される方は、我妻家住宅南側のボランティア室へお越し下さい。 |
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公開日 毎月第3日曜日 午前10時〜午後4時(11月〜3月は午後3時まで) |
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※上記公開日でも臨時休館となる場合があります。
公開予定の変更等については本WEBサイトのトップページで随時告知します。
詳しくは町文化財保護係(電話 0224−33−2328)へお問い合わせください。 |
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休館日 上記公開日が8月8日〜22日、12月15日〜1月31日の期間に含まれる場合は休館 |
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公開日以外の見学はできません。
個人宅のため公開日以外の外観の見学や敷地内への立ち入りはご遠慮ください。 |
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