に し ご や た て あ と |
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現在の西小屋館跡(杉木立の部分に土塁が残っています) |
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西小屋館跡の北辺に残る土塁 |
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西小屋館跡の西側を囲んでいた堀跡 |
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西小屋館跡と西屋敷遺跡 |
西小屋館跡は、円田盆地の北西縁から張り出した低い丘の先端部にあります。江戸時代の「小村崎村 風土記御用書出」には志津戸信濃守の家臣 村上左近が館主と記され、周辺には館前・館脇・館東・館東脇・堀の内といった「館」に関わる地名が多く残されています。
平成4年(1992年)に東北福祉大学による測量調査が行なわれ、遺跡の北西部に高さ最大3mに及ぶ土塁が良好に残存することが確認されています。
また、平成21年(2009年)に県営ほ場整備事業に伴って行なった発掘調査では、西側土塁の外側に幅3.8m以上、深さ1.2m以上の堀跡を発見しました。かつては東側にも土塁が存在したと言われており、土塁は館跡の北半部をコの字形に囲み、外側に堀が巡っていたと推定されます。このことから、西小屋館跡は東西約140m、南北約130mの範囲を土塁と堀で五角形に区画していたと考えられます。
区画内部の発掘調査は行なわれていないため、館跡が使われた時代は正確には分かっていませんが、中世(鎌倉〜戦国時代、約800〜400年前)のこの地域を治めた領主の居館と考えられます。
また、平成21年の発掘調査では、西側に隣接する西屋敷遺跡で大溝に囲まれた中世の屋敷跡が発見されました。西小屋館の領主に仕えた武士の屋敷と考えられます。
なお、本遺跡の北西約1.5kmの丘陵上には防御性の高い土塁や堀などを巡らせた兵糧館跡が位置しており、相互の関連性が注目されます。
このように、西小屋館跡と西屋敷遺跡、兵糧館跡は、中世の円田盆地北部における地方支配の様子を考える上で重要な遺跡です。
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西小屋館跡と西屋敷遺跡の想像復元画(建物などの配置は推定です) |
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所在地 |
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蔵王町大字小村崎字西屋敷 |
時代 |
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中世(鎌倉〜戦国時代、13〜16世紀) |
種類 |
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城館跡 |
遺構 |
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堀跡、土塁 |
遺物 |
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陶磁器、古銭など |
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幹線農道西側の杉木立に囲まれた丘陵先端部一帯が遺跡です。 |
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現地には説明看板を設置しています(幹線農道沿い)。 |
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遺跡の現状は水田・畑地・宅地です(発掘調査をした場所は農業用水路になっています)。 |
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