ろ っ か く い せ き |
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六角遺跡出土土器 |
六角遺跡は、小村崎地区の円田盆地に北から細長く伸びる丘の上にあります。水田を使いやすいものに作り替える「県営ほ場整備事業」に先立って、平成18年に発掘調査が行なわれました。
発掘調査では、縄文時代の人びとが狩をするために掘った落し穴の跡や、古墳時代と奈良時代、平安時代の集落の跡などが見つかりました。
奈良時代の集落跡は今から約1,300年ほど前(8世紀前半頃)のもので、竪穴住居跡や掘立柱建物跡が発見されました。また、幅が2mほどの大溝跡も見つかり、集落がこの大溝で取り囲まれていた可能性もあります。
竪穴住居跡などから出土した土器には、当時の福島県地方や関東地方の人びとと同じ技法で作られたものが数多く含まれていました。また、竪穴住居跡のカマドの造り方も当時の関東地方のものと同じでした。こうしたことから、六角遺跡の集落には他地域から移住してきた人びとが暮らしていたと考えられます。
この頃、東北地方に暮らしていたのは、エミシと呼ばれた人びとです。最近の研究では、飛鳥〜奈良時代にかけて大和朝廷がその勢力を拡大させるため、エミシの住んでいた東北地方へ関東地方などからの開拓移民が送り込まれたことが分かっています。六角遺跡には、そうした開拓移民の集落が造られていたのです。
これまで、開拓移民の集落跡は仙台平野から大崎平野にかけての地域で発見されていましたが、県南ではこれが初めての発見です。県南地方一帯の奈良時代初め頃の様子を考える上で貴重な発見となりました。
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東北地方に一般的な造りの竪穴住居跡(SI634)。煙道(煙を出すトンネル)が屋外に長くのびています。 |
関東地方と類似する造りの竪穴住居跡(SI753)。カマドが住居の壁に食い込むように造られています。 |
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所在地 |
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蔵王町大字小村崎字六角地蔵 |
時代 |
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奈良時代(8世紀前半頃) |
種類 |
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集落跡 |
遺構 |
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竪穴住居跡・掘立柱建物跡・大溝跡など |
遺物 |
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土師器・須恵器など |
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小村崎コミュニティーセンターから六角地蔵のある共同墓地にかけての一帯が遺跡です。 |
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現地には説明看板を設置しています(小村崎コミュニティーセンター南側の農道沿い)。 |
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遺跡の現状は水田・畑地です(発掘調査をした場所は農道・水路になっています)。 |
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