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な か ざ わ A い せ き
中沢A遺跡 円田盆地で古墳を築造した人々の集落

中沢A遺跡で出土した古墳時代中期の土器

祭祀に用いられたと考えられる石製模造品(勾玉・鏡・臼玉)
カマドが設けられた古墳時代中期の竪穴住居跡
 中沢A遺跡は、円田盆地東縁の丘の上に営まれた遺跡です。平成13・14年(2001・2002年)に町道立目場線改良及び東根北部線農道改良のため発掘調査が行われました。

 発掘調査では、古墳時代中期(5世紀、約1600年前)の竪穴住居跡9軒や溝跡などが発見されました。住居跡などから出土した土器の特徴から、この集落が、古墳時代中期のものとしては円田盆地周辺で最も早い時期の集落であることが把握されました。

 また、9軒の住居跡はすべて同じ方向を向いて建てられていること、出土した土器の特徴にもほとんど変化が認められないことなどから、この集落は古墳時代中期はじめの比較的短い期間に営まれたと考えられます。

 宮城県南部では古墳時代前期(4世紀)に村田盆地や伊具盆地西部に前方後円墳を築造する首長層が出現しますが、古墳時代中期(5世紀)になると円田盆地や白石盆地、伊具盆地東部など、これまで古墳が築造されなかった地域でも前方後円墳あるいは円墳を築造する勢力が成立します。当時の古墳は中央政権との交渉によって築造が許可されるものであり、このような古墳築造に見る新興勢力成立の背景には、中央政権による地方支配体制に変革があったと考えられています。こうしたことから、複数の円墳が集中的に築造された円田盆地も5世紀の新興勢力の基盤となった地域と考えられ、中沢A遺跡の集落に暮らした人びとは、そのような地域社会の変革にいち早く呼応した人びとであったと考えられます。

DATA
所在地 蔵王町大字平沢字中沢
時代 古墳時代・中期(5世紀)
種類 集落跡
遺構 竪穴住居跡・溝跡など
遺物 土師器、土製勾玉、石製模造品(勾玉、臼玉、円盤状石製品)、金属製品(鉄鏃?)、鉄滓など
見学メモ
円田中学校の北東約400mの丘陵一帯が遺跡です。
現地には説明看板を設置しています(町道沿い)。
遺跡の現状は山林・畑地です(発掘調査をした場所は町道になっています)。

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