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み ょ う じ ん う ら こ ふ ん
明神裏古墳 耕作中に発見された箱式石棺


畑地と果樹園が広がる明神裏遺跡
板石を組み合わせた箱式石棺(蔵王町史 資料編 I )
 明神裏古墳は、白石川との合流点に近い松川西岸の河岸段丘上に立地する明神裏遺跡で発見された古墳です。その発見は古く、昭和10年頃にさかのぼります。畑の耕作中に石棺が露出して蓋石を開けると、頭部を東に向けた人骨と、長さ約30cmの鉄刀、完形の壺が副葬されていたと言われています。

 発見から約20年後の昭和31年(1956年)には志間泰治氏・佐藤庄吉氏による発掘調査が行なわれ、石棺の実測図が作成されました。調査では耕作土の直下に石棺が確認され、蓋石や墳丘の盛土は認められませんでした。石棺は長さ180cm、幅40cm、高さ30cmで、厚さ5〜10cmの凝灰岩板石を組み合わせて作られており、周囲に5〜15cm大の礫が積み重ねられていました。

 本古墳は墳丘の構造や出土遺物の詳細が不明ですが、類似する構造を持つ箱式石棺は白石市鷹巣18号墳や仙台市砂押古墳などでも発見されており、古墳時代中期から後期(5〜6世紀、約1500年前)の築造と考えられています。

 本古墳の南東約1kmの丘陵上にある宮城館跡では、古墳時代中期(5世紀)の竪穴住居跡や土坑が見つかっており、土師器や石製模造品が出土しています。このように当時の松川下流域にはいくつかの集落が形成されていたと推定され、本古墳はこの地域を治めた支配者層の墓と考えられます。

DATA
所在地 蔵王町大字宮字明神裏
時代 古墳時代中期(5世紀)
種類 古墳
遺構 箱式石棺1基
遺物 人骨・鉄刀・壺
見学メモ
宮中学校南西側から刈田嶺神社北側の畑地一帯が明神裏遺跡です。
現地には説明看板を設置しています(宮中学校西側の町道沿い)。
遺跡の現況は畑地・果樹園・宅地です。石棺の発見された場所は畑地で埋め戻されています。

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