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か じ さ わ い せ き |
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鍛冶沢遺跡で発見された再葬墓(弥生時代前期、発掘調査報告書より) |
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墓(赤色)と建物跡(緑色、発掘調査報告書より) |
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発掘調査の様子(人が立っているのが建物の柱穴) |
鍛冶沢遺跡は、青麻山東麓のなだらかな丘陵上に営まれた遺跡です。多量の土器や石器が出土する遺跡として早くから紹介され、完全な形の土偶(仙台市博物館所蔵)が出土した遺跡としても著名です。昭和44年(1969年)には開田工事に伴って、平成19・20年(2007・2008年)には広域農道整備事業に伴って宮城県教育委員会が発掘調査を行ないました。
平成19・20年の調査では、縄文時代晩期中葉(約2,700〜2,600年前)と弥生時代前期(約2,300年前)の遺構・遺物が発見されました。縄文時代晩期の遺構には掘立柱建物跡群と土器埋設遺構があります。建物跡は4〜5棟が弧を描くように並び、同じ場所で最大8回の建て替えが行なわれていました。土器埋設遺構は地面に穴を掘って土器を埋めたもので、幼児や胎児を葬った墓と考えられます。当時の一般的な住まいである竪穴住居跡が存在せず、掘立柱建物跡が繰り返し建てられていることや、墓が作られていることから、集落の中でも特別な場所であったと推定されます。縄文時代晩期の建物群は国史跡の福島市宮畑遺跡などで見つかっていますが、県内では初めての発見です。
弥生時代前期(約2,300年前)の遺構は再葬墓(さいそうぼ)が発見されました。再葬墓は、遺体を一端埋葬した後に遺骨を回収し、壺に納めて再埋葬したものです。このような埋葬方法は北関東から福島県にかけて見られますが、県内では初めての発見です。
鍛冶沢遺跡では弥生時代前期の再葬墓が縄文時代晩期の墓域と同じ場所に営まれており、集落に連続性が認められます。このことから、東北地方南部の蔵王東麓では、弥生時代前期に集落の立地が変わるほど大きな生活の変化はまだなく、縄文時代晩期の生活の中に弥生時代の新しい文化が徐々に取り入れられたことが分かります。
このように、本遺跡は縄文時代の終わりから弥生時代の初めにかけての集落の様子を知る上で大変貴重です。
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所在地 |
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蔵王町曲竹字鍛冶沢 |
時代 |
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縄文時代晩期中葉(約2,700〜2,600年前)、弥生時代前期(約2,300年前) |
種類 |
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集落跡 |
遺構 |
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住居跡、掘立柱建物跡、土器埋設遺構、再葬墓、集石遺構など |
遺物 |
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縄文土器、石器、土偶など |
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町道と広域農道の交差点付近から西側に広がるなだらかな斜面一帯が遺跡です。 |
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現地には説明看板を設置しています(町道と広域農道の交差点北西側)。 |
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遺跡の現況は畑地・果樹園・宅地です(発掘調査をした場所は広域農道になっています)。 |
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