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町を彩る歴史テーマ その3 高野家

平沢要害跡
(ひらさわようがいあと)

時の流れによって消滅した、高野家歴代の居館

江戸期の絵図(個人蔵)
平沢地区公民館敷地に建立された記念碑
 平沢要害は、別称を臥牛館(がぎゅうだて)とも勝岡城(かつおかじょう)とも呼ばれ、一説には上杉景勝(うえすぎかげかつ)の家臣、甘粕備後守(あまかすびんごのかみ)が築城したとも伝えられています。

 江戸期の絵図では、本丸・二の丸・水堀と、南側に屈折する大手が見え、小規模ながらも、平地における近世城郭のような構造だったことが伺えます。

 慶長7(1602)年に高野家が拝領して以来、江戸期を通じて高野家の居館として用いられました。大手周辺の館下町(たてしたまち)の整備は、入封した高野家によってなされたものです。元禄11(1698)年に、火災によって門と塀を除く構造物が焼失しました。その後、建物などを再建して用い続けたのでしょう。

 現在、平沢要害の遺構は何も残っていません。明治末期に始まった珪藻土(けいそうど)採掘事業によって、平沢要害を含む丘陵部が根こそぎ削平されたのです。跡地は平沢地区公民館となっており、その一角に記念碑が建立されているのみです。

平沢要害大手。道筋は往時のまま ここがかつて、平沢の要だった


所在地 蔵王町大字平沢字内屋敷14-1 平沢地区公民館
所有者 蔵王町
公開日 いつでも
料 金 無料
アクセス ミヤコーバス「平沢」停留所から徒歩8分
駐車場 あり
現地までの案内表示 なし
現地での説明表示物 あり(記念碑・文化財説明板)
見学のための手続き 特にありません。ご自由にご見学下さい。
見学地の整備状態 普通(ただし、要害跡の遺構は残存しておりません)

平沢要害跡 高野倫兼遺訓碑 三尊堂舎
日吉神社 一石一字経供養塔

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