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じ ゅ う く は ん ぐ い
十九半杭(後編)

話し手
編 集

我妻正一さん(蔵王町宮司)
蔵王町教育委員会(2009)

※このお話は、「十九半杭」の後編です。前編をお読みになっていない方は、先に「十九半杭(前編)をお読み下さい。

 次の日、お堂を後にした六部が歩ってると、村にたどり着いたんだ。そこの家々をめぐって、このあたりで昨夜、童が生まれなかったかとたずねると、ある家でおなご童が生まれたって喜んでいたんだと。六部は、神様たちの言っていた「十九半杭」という言葉のなぞが気になってならなかったんだけど、家の人には何も告げずに、ただお祝の言葉だけ述べて立ち去ったんだ。

 それから長いこと年月が過ぎて、六部は、またその村を訪れたんだ。あの時お祝を述べた家をたずねて、あのとき生まれたおなご童がどうなったか、聞いてみたんだ。すると、そのおなご童の父ちゃん、涙を流しながら言ったんだ。
「あの娘は死んでしまった。病気ひとつしない、元気な童だったんだが、十九になった去年の春に、半分土に埋まった杭(くい)につまづいて転んでしまって、打ち所が悪くて、そのまま・・・」

 それで、「十九半杭」という言葉の意味がはっきりとわかったんだと。六部は、むかしのえらい法印(ほういん。山伏のこと)が言っていた、「人の寿命というものは、その人が生れ落ちたときに神様が定めるもので、とうてい人間があずかり知ることのできないものだ。その人が、世のため人のために尽くせば、それに応じて寿命が延びるものだが、それでも、その人の命がいつ尽きるのか、知ることはできない」という言葉を思い出して、人の寿命とはつくづく不思議なものだと、つくづく思ったんだと。


※「蔵王町史 民俗生活編」掲載の「十九半杭(話し手:我妻正一さん)」に基づき、その内容・意味・趣旨に変更を加えることなく、文章の順番・文体のみ修正しました。
※今回掲載した話の中で「十九半杭」と記した部分はすべて、原典においては「十九半」と記されています。本来、原典のまま掲載するのがより良いのでしょうが、今回はストーリーをより強調する目的から、あえて「杭」を加えて記しました。
2009.9.24更新

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