さ ん ぞ ん ど う し ゃ |
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三尊堂舎 |
江戸時代初期の元禄14(1701)年、遠藤甚兵衛(えんどうじんべえ)作の厨子です。甚兵衛は刈田郡平沢村を拝領して平沢要害を居館としていた高野家と関係の深い木工職人と思われ、高野家十八代武兼(たけかね)の発願による丈六阿弥陀如来坐像(じょうろくあみだにょらいざぞう)の修復にもかかわっています。この堂舎は、まるで鳳(おおとり)が翼を広げたように大きく反り返った屋根が特徴的で、組物や軒垂木(のきだるき)などが細かく丁寧に作り込まれ、極彩色に塗装されています。また、彫物を模したと思われる模様が随所に描かれています。
この三尊堂舎は、高野武兼が入手した恵信(えしん)作の釈迦如来像を安置するために作らせたものです。後に安養寺(あんようじ)に寄進されるも同寺は延享元(1744)年に火災により焼失。この三尊堂舎は幸いにも焼失を免れ、甚兵衛によって修理されました。この時には、釈迦如来像は当初のものとは別物になっており、堂舎の飾りも紛失していました。明治以後は清立寺の所有となり、境内の堂内に安置され手あつく保存されて現在に至ります。当時の工芸技術の秀逸さを窺わせるとともに、高野家と平沢地域の歴史にまつわる貴重な文化遺産です。
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正面の向拝(こうはい)から軒下を見上げた様子。彩色も残る細かい造作が施されています。 |
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右側面の様子。長押(なげし)の模様や華灯窓(かとうまど)の絵が繊細で色鮮やかに描かれています。 |
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所有者 |
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清立寺 |
所在地 |
: |
蔵王町大字平沢字台屋敷54 |
指定年月日 |
: |
平成22年3月1日 |
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随時公開されています。お寺の方へ見学を申し出てください。 |
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