どきたんドットコム指定文化財>敬明講図(絵馬)


け い め い こ う ず  ( え ま )
我妻家住宅 国指定重要文化財(建造物)

敬明講図
敬明講図に描かれた山頂を目指す白装束の人々
蔵王刈田嶺神社
 蔵王連峰(刈田岳)は、古くは「続日本紀」にもその名が見える、由緒ある神山です。平安時代後期には、蔵王大権現を祀る修験の道場として栄え、江戸時代後期以降には、市井一般の者も多く参詣するようになりました。
 遠刈田温泉は、江戸時代以降の陸奥国側唯一の蔵王山参詣路である「蔵王参詣表口」の出発点で、山頂の蔵王大権現と参詣路とを管理する金峯山蔵王寺嶽之坊(きんぷせんざおうじだけのぼう)が所在する地として、多くの参拝者が訪れました。嶽之坊は、参拝者を山頂まで導く先達(せんだつ。参拝者の道案内と、山中の規律を司る修験者)の仕切りも担っており、蔵王山参詣を統括する存在でした。明治初期に発布された「神仏分離令」「修験廃止令」の影響を受けて、山頂の蔵王大権現社と嶽之坊とが合同して神社へと変貌し、明治12年に蔵王刈田嶺神社(ざおうかったみねじんじゃ)と号するようになっても蔵王山参詣の流行は衰えることはなく、蔵王刈田嶺神社もまた、蔵王山参詣の一切を司ってきました。
 「敬明講図」は、宮城県仙台市にある蔵王山参詣講「宮城敬明講」が明治38年(1905年)に奉納した絵馬です。蔵王山参詣には、尾根筋を通る「御山駆け」と、沢筋を通る「御沢駆け」との二通りがあるのですが、本図は「御山駆け」を描いたもので、真夜中に遠刈田温泉を出立し、暗闇の中、先達に導かれつつ参詣路を駆け上る敬明講中一同の姿が如実に描かれています。参詣者の装束や持ち物なども仔細に描き出されており、歴史深い蔵王山参詣の様子を今に伝えてくれます。
 なお、画面の一部に剥落が認められますが、これは、以前は神社拝殿軒下に懸額(けんがく)されていたため、風雨によって損傷したものです。現在は拝殿内に懸額しており、適切な環境で保存されています。
 ちなみに、蔵王刈田嶺神社の宮司さんのお話では、現在に至るも「宮城敬明講」は存続しており、毎年、講中の人々が蔵王山頂に参拝するのだということです。

DATA
所有者 蔵王刈田嶺神社
所在地 蔵王町遠刈田温泉仲町1
指定年月日 平成19年5月10日
見学メモ
拝殿内に安置されていますので、通常は公開されていません。

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