た か の と も か ね い く ん ひ |
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高野倫兼遺訓碑 |
江戸時代の経済は、農民が納める年貢を基礎としていました。だから、領主は常に年貢をスムーズに集める方法を考えていました。
平沢字新屋敷には、江戸中期の平沢領主、高野倫兼が村役人に語った言葉を刻んだ石碑があります。その内容は「農民にとっての正しい道とは、朝早くから夜遅くまで農作業に精を出し、年貢をきちんと納めることである。読み書きや囲碁将棋などくだらないことに気をとらわれず、農作一筋に励むべきである。」と、農民の道徳心に訴えて年貢を集めようとしたものです。この種の農民教化は公文書やお触れ書では数多く見られますが、石碑という形はとても珍しいものです。
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<原文> |
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伊達家の臣當村の領主高野備中倫兼君の遺訓 |
おほよそ人は孝悌のほか道なし孝は親によく事ふまつり 悌は兄をうやまい随ふ事也 先農家にありてはつ〃れきて蓑笠かふり露霜を犯し朝とくおきて草刈ひるハ田畑をたがやし夜は縄なへ 其身を有とせず農を務め年の貢きとく納め親の心を安らか志め兄を助け耕し弟の身なれハ兄の使い者と身をおとし事る外何かあらん 物かき書をよむ事なとハそもそも末の事也 まして棋象戯なとは手にもとらす農作一すしに務るは農に有ての孝悌としるべし |
亀岡七十九翁 |
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<現代語訳> |
伊達家の家臣 当村の領主 高野備中倫兼君の遺訓 |
およそ人の生きる道は、孝悌の他にはない。孝とは親孝行のこと、悌とは兄を尊敬して従うことである。農家であれば、粗末な服を着て蓑笠をまとい、露霜を犯して早朝から草刈をし、昼は田畑を耕し、夜は縄をなえ。裕福な暮しをせず、農作に務め、はやめに年貢を納めて親を安心させ、兄を助けて耕し、弟の身であれば、兄の使用人に身をおとす他に生きる道があろうか。物書きや読書などはそもそも瑣末な事である。まして囲碁や将棋などは手にすることなく、農作一筋に務めることこそ、農民にとっての孝悌であると知るべし。 |
亀岡七十九翁(高野倫兼) |
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所有者 |
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水神社 |
所在地 |
: |
蔵王町平沢字新屋敷30 |
指定年月日 |
: |
昭和57年3月29日 |
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