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し ろ く ず り ゅ う こ ふ ん |
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白九頭竜古墳 |
平安時代末期の文治元年(1189年)、東北地方を支配する奥州藤原氏を滅ぼすため、鎌倉の源頼朝が大軍を率いて奥州を攻めました。藤原氏は当主泰衡(やすひら)の兄国衡(くにひら)を大将として、伊達郡国見の厚樫山(あつかしやま)に陣を構えて迎え撃ったものの、わずか一日で敗れてしまいました。国衡も退却中に討ち取られ、首は頼朝の元へと届けられました。そのとき打ち捨てられた胴体は領民の手で曲竹にある古墳に葬られ、供養の祠が建てられました。祠は白崩叢祠(しろくずれぞうし)と呼ばれましたが、後に白九頭龍神社と改められました。
現在の建物は昭和になってからのものですが、この地が藤原氏非業の伝説の地であることから、境内の古墳を史跡として指定しています。
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管理者 |
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曲竹182名共有会 |
所在地 |
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蔵王町曲竹字明神河原3-1 |
指定年月日 |
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昭和50年6月26日 |
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