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姿を現した縄文ムラ−西浦B遺跡の発掘調査おわる
 
 
 昨年11月から行なっていた西浦B遺跡の発掘調査が、このほど終了しました。調査の結果、縄文時代の竪穴住居跡や掘立柱建物跡、食糧などを保存した穴(貯蔵穴、ちょぞうけつ)の跡などが発見されました。

 貯蔵穴は直径1〜1.5mほどの円形をした縦穴で、入り口よりも中が広くなっています。見つかったものはどれも穴の底のほうだけが残っていましたが、当時は人の背丈ほどもある深い穴だったようです。

 貯蔵穴の中に保存された食糧は、長い年月の間に土の中で分解されてしまったらしく、何も残っていませんでした。縄文時代の人びとは、この穴の中にどんな食糧を蓄えていたのでしょうね。

 使われなくなった貯蔵穴の中からは、たくさんの縄文土器が出土しました。現代の車のデザインが年代によって違うように、土器もそれが作られた時代によってデザインが違っています。土器の形や文様を見ると、今から約5,000〜3,300年前(縄文時代の中期末〜後期)に作られたものであることが分かります。

 貯蔵穴の見つかった場所の周囲では、竪穴住居跡や掘立柱建物跡も見つかりました。松川や高木の丘の豊かな自然に囲まれた縄文ムラの生活が、これから少しずつ解明されていくことでしょう。

 
縄文時代の食糧貯蔵庫! −貯蔵穴(ちょぞうけつ)−
貯蔵穴の調査。穴の中の土を、少しずつ掘り下げていきます。 穴の中からは、たくさんの土器のかけらが出土しました。
出土した土器の形や文様を調べると、作られた時代が分かります。 調査が終わった貯蔵穴。当時は人の背丈ほどの深い穴だったようです。
縄文時代の竪穴住居跡 −家族で囲む団らんの火−
縄文時代の竪穴住居跡。中央に火を焚いた炉の跡があります。 炉は河原石を組み合わせて作ってありました。中が赤く焼けています。
平安時代の竪穴住居跡 −カマドのある便利な生活−
平安時代(約1,000年前)の竪穴住居跡。こちらは壁際にカマドがあります。煙が壁の外へ流れる仕組みでした。 カマドは河原石を立て並べて、外側に粘土を貼り付けて作っていたようです。かまくらのような形でした。
カマドの中からは、たくさんの土器が出土しました。住居が使われなくなった後に、まとめて捨てられたようです。
平成22年2月19日更新
 
 

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