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矢附地区

鉾附神社
(ほこづきじんじゃ)

「大字矢附(やづき)」の由来となった、八幡太郎伝説の地

 永承6(1051)年、蝦夷(えみし)の酋長安倍氏が反乱を起し、朝廷は源頼義(よりよし)・義家(よしいえ)父子を征伐に遣わしました。以後9年に及ぶ戦乱、奥州前九年の役(おうしゅうぜんくねんのえき)です。この乱は、実際には現在の宮城県北〜岩手県南域で行われたのですが、不思議なことに宮城県南地域でも、この乱にまつわる伝説が定着しました。私たちの地域にも、そうした伝説が伝わっています。

 ・・・源八幡太郎義家が、小原の清水峠から矢を射た。矢は空を切り裂いて飛び去り、遠く離れた小さな丘の上に突き刺さった。人々は驚き、その丘に「鉾附神社」を祀った。また、刺さった衝撃で矢柄が外れ、さらに八丁(870m)ほど飛んで落ちた。そこには「矢柄明神(やがらみょうじん)」が祀られた。そして、この丘の一帯を「矢附(やづき)」と呼ぶようになった・・・

 この地名、なんと現在も、蔵王町大字矢附として使われ続けているのです!!

 他にも、安倍貞任(さだとう)が陣を退くとき、地面に刺していった藤の鞭が育った「根無藤(ねなしふじ。円田字根無藤)」、安倍一族の首を葬った「首塚(くびづか。円田字一戦場)」、源氏の武将鎌倉景政(かまくらかげまさ)が傷を癒した「鎌倉温泉(平沢字鎌倉沢)」など、数々の前九年の役伝説が語り継がれています。

手前が鉾附神社、右手奥の杉小森には矢柄明神。八幡太郎伝説はダイナミックです!
小さいながらも雰囲気のある境内 鎌倉温泉。傷や皮膚病に効能がある

アクセスマップ

所在地 蔵王町大字矢附字鉾附
所有者 個人所有
公開日 いつでも
料 金 無料
アクセス ございんホールから自動車で5分
駐車場 なし
現地までの案内表示 なし
現地での説明表示物 なし
見学のための手続き 特にありません。ご自由にご見学下さい。
見学地の整備状態 普通

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