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蔵王町内で遺跡の発掘調査をしていると、時々、ちょっと変な穴が発見されることがあります。その穴は、たいていは現存の民家のすぐ近くで見つかることが多く、直径60cm〜1m、深さは30〜50cmで、ブカブカの柔らかい土で埋め戻されていて、底からワラ灰が出てきます。最初、この穴を見つけたとときは「ゴミを燃やした穴」と思っていたのですが、何年かするうちにどうやらそうではなさそうだ、と思うようになりました。ではこの穴はなにかというと、「納豆作りの穴」というのが正解のようです。 実は最近まで、この辺りの農家では、納豆は買うものでなく手作りするものでした。その作り方は以下のとおり。 @ わらを釜で軽くゆで、柔らかくして「わらづと(この辺りでは「つとこ」と言います)」を作る A 大豆を弱火で半日ほど煮る B 煮あがったら、熱いうちに「わらづと」に入れる C 「わらづと」20〜30個をひとまとめにして、わらクズと一緒にムシロで包む D このまま数日放置する(納豆寝せ)。すると、煮大豆の熱がわらクズによって保温され、発酵して納豆ができあがる または、Dが以下のように変わることもあります。 D’土に穴を掘ってわらを燃やして地面を温め、その中にCのムシロ包みを入れ、土をかけて保温する。2〜3日してから掘り起こせば納豆ができあがっている。これを「土納豆(つちなっとう)」という 他に、このようなものもありました。 D'' Cのムシロ包みをもみ殻の中に入れて保温し、途中で天地返しをして(寝せ返し)3日ほどで掘り返せば納豆ができあがっている。これを「ぬか納豆」という ということで、冒頭にお話した穴は「土納豆」を作るときの穴だったわけですね。 納豆を作るときのポイントは「煮大豆」「温度(保温)」「わら」の3つです。このうち「煮大豆」は主原料ですから当り前。「温度(保温)」も、菌が発酵(はっこう)するために必要ですから納得できます。ですが、「わら」がポイントというのはなぜでしょう?確かに「納豆=わらに包まれている」というイメージがありますよね。 納豆の発祥伝説の中には、「弥生時代、ある人が煮大豆を敷きわらの上にこぼした。数日後に気付いたところ、煮大豆は真っ白な粘り気に包まれていた。これを食べてみたところたいへんうまかったので、以後はあえて煮大豆とわらを一緒にしておくようになった。」 あるいは、「安土桃山時代、千利休が、茶受けに作った煮大豆を、誤って厩(うまや)の敷きわらにこぼしてしまった。数日後に気付くと、煮大豆は真っ白な粘り気に包まれていた。これを食べてみるとたいへんうまかったので、以後、煮大豆をわらと一緒にしておき、粘りが出たところで茶受けに出すようにした。」 というものがあります。弥生人であれ千利休であれ、一番気になるのは「そんなところにこぼして数日経ったモノ、しかもネトネトになっちまってるモノを食うなよ!」というところですが、次に気になるのは「わら」の存在です。やはり、納豆作りとわらとの間には、切っても切れない糸が隠されているようです(納豆なだけに・・・)。 納豆は、誰もが知っているとおり「発酵食品」です。納豆の場合、発酵にたずさわるのは「納豆菌(なっとうきん)」という細菌です。実はこの納豆菌、自然界では稲わらに多く付着しているのだそうです。納豆菌は、体の外側が硬いカラに覆われているため、そのままでは効果的な繁殖ができません。このカラは高温にさらされると壊れるので、最初にわらをゆでるのは、わらを柔らかくするだけではなく、納豆菌の繁殖の手助けとして有効な手段だとのことです。もちろん、昔の人々には細菌学の知識なんてありませんでしたが、経験的に効果的な方法を伝承していったのでしょうね。素晴らしいことだと思います。 本ウェブサイト中「昔ばなし」で、「納豆和尚」というお話を紹介しました。このお話は「煮大豆をそのまま釜の中に放置しておいたところ、納豆になっていた」というもので、肝心のわらが登場しません。ということは、このお話は、「煮大豆+わら(納豆菌)=納豆」という経験則の昔話化が目的なのではなく、「大きな失敗が大きな発見につながる」「物事は、一方向を見ればダメであっても、他方向から見れば良ということもある。多面的に見なければならない」という、人生訓の説話化が目的だったのではないでしょうか?短い昔話ひとつとっても、なんと含蓄の深いことでしょう。 |
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2009年6月19日更新<Y> |
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