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このページでは、ふるさとの歴史講演会「仙台真田氏の誕生」に関連する情報をお知らせしていきます。 講演会・文化財展は盛況のうちに終了いたしました。多数のご来場ありがとうございました。 |
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こちらの文化財展は終了しました。
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こちらの講演会は終了しました。
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仙台真田氏とは、「日本一の兵(つわもの)」の名声も高い名将、真田幸村の末裔です。 真田幸村は、元和(げんな)元年(1615)の大阪夏の陣において、徳川家康本陣に突撃をしかけ、今一歩で家康を討ち取るばかりにまで追い詰めた武将です。幸村自身はこの戦で討死しましたが、その見事な戦ぶりと散り際は遥か時代を超えて現代においても語り伝えられ、人々の尊敬と憧れの的となっています。 大阪落城の後、幸村の血脈は絶えたものとされてきましたが、実は、幸村の次子真田大八が白石城主片倉家によってひそかに養育され、やがて、幕府の厳しい追求をかわしつつ仙台藩主伊達家の家臣となり、代々藩政発展に尽くしました。名将真田幸村の血脈を伝えるこの一族を『仙台真田氏』と称します。 仙台真田氏は、刈田(かった)郡矢附(やづき)村・曲竹(まがたけ)村(現在の蔵王町大字矢附・曲竹地区)に三百石の領地を与えられ、この地に暮らしました。ゆえに、わが蔵王町は仙台真田氏ときわめてゆかりの深い地域なのです。 仙台真田氏の歴史を解明し、『仙台真田代々記』を執筆された小西幸雄氏を講師に招き、わが郷土の歴史の中でも最も魅力的なエピソードのひとつである『仙台真田氏』について講演いただきます。小西氏ご自身、仙台真田氏の系図に名を連ねる『真田幸村の血脈』のお一人です。仙台真田氏誕生の歴史について、一般の方にも理解しやすく解説していただきます。 |
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どきたんが真田幸村に・・・!! |
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