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ほ り の う ち い せ き
堀の内遺跡 関東地方の生活様式を示す土器

奈良時代の竪穴住居跡(11号住居跡)

 堀の内遺跡は、町東部の円田盆地に西から延びる丘陵上にあります。平成元年には旧円田幼稚園建設に先立って、また、平成8年には農道白山八堀線改良工事に先立って発掘調査が行われました。

 発掘調査では、古墳時代前期・中期、飛鳥〜奈良時代、平安時代の竪穴住居跡が23軒発見され、各時期の集落が営まれていたことが判明しました。また、縄文時代と見られる落とし穴の跡も発見され、当時の盆地周辺が狩猟の場であったことも分かりました。

 飛鳥〜奈良時代の竪穴住居跡は9軒が発見されています。住居跡から出土した多くの土器の中には、当時の関東地方の人びとと同じ技法で作られたもの(関東系土師器:はじき)が含まれていました。関東系土師器は食器として用いられた皿形の土器(坏:つき)だけではなく、煮炊きに用いられた鍋(甕:かめ)にも見られます。このことから、堀の内遺跡の集落に暮らした人々の中には、関東地方の生活様式を持った人が含まれていたと考えられれます。

 この頃、東北地方に暮らしていたのは、エミシと呼ばれた人びとです。最近の研究では、飛鳥〜奈良時代にかけて大和朝廷がその勢力を拡大させるため、エミシの住んでいた東北地方へ関東地方などからの開拓移民が送り込まれたことが分かっています。円田盆地北部の六角遺跡では、そうした開拓移民の集落が発見されており、堀の内遺跡も移民の人々が関係した集落と考えられます。

 これまで、開拓移民の集落跡は仙台平野から大崎平野にかけての地域で発見されていましたが、県南での発見は少なく、県南地方一帯の飛鳥時代〜奈良時代初め頃の様子を考える上で貴重な発見となりました。

在地の土師器 関東系土師器
竪穴住居跡から出土した二つの系譜を持つ土師器(11号住居跡)

DATA
所在地 蔵王町大字円田字堀の内
時代 古墳時代前期(約1700年前)・中期(約1600年前)、飛鳥〜奈良時代(7世紀末〜8世紀前半)、平安時代(9世紀前半)
種類 集落跡
遺構 竪穴住居跡、掘立柱建物跡など
遺物 土師器・須恵器・続縄文土器など
見学メモ
円田中学校から円田児童館(旧円田幼稚園)にかけての丘陵一帯が遺跡です。
現地には説明看板を設置しています(円田児童館入口)。
遺跡の現状は畑地・宅地・学校です(発掘調査をした場所は町道・円田児童館になっています)。

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