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じ ゅ う ろ う た い せ き
六角遺跡 国指定重要文化財(建造物)

十郎田遺跡で見つかった約1,300年前(飛鳥時代)の集落跡の様子です(南東から撮影)。竪穴住居1・2を壊して掘立柱建物1が建てられ、その後に掘立柱建物2が建てられました。外側には材木を立て並べた塀を巡らせています。掘立柱建物と塀は平行しているので、同時に存在したと考えられます。

 十郎田遺跡は、小村崎地区の円田盆地に西から伸びる細長い丘の上にあります。水田を使いやすいものに作り替える「県営ほ場整備事業」に先立って平成19・20年度に行なわれた発掘調査で、塀で囲まれた大規模な集落跡が見つかりました。

 塀は材木を立て並べたもので、東西308m、南北142mの長方形の「大区画」の南東部に東西58m、南北52mの方形の「小区画」が取り付く構造でした。区画の内部では竪穴住居跡と掘立柱建物跡が見つかりました。一緒に出土した土器の特徴や、塀跡に残っていた木材の年代測定の結果から、この集落は今から約1,300年前(7世紀後半頃)の飛鳥時代のものであることが判明しました。

 このように塀で囲まれた集落は、当時の普通の集落とは異なるものです。これまでに仙台市や大崎市など県北でいくつか発見されていて、大和朝廷が東北地方を支配するための役所の建設などに当たった人々を住まわせたものだと考えられています。

 竪穴住居跡から出土した土器には、福島県地方や関東地方の人びとの技術で作られたものも混じっていました。このことから、他地域から移住してきた人びとが居住していた集落だった可能性があります。

 こうした集落は県南では今回が初めての発見で、飛鳥時代の県南地方の様子を知る上でとても貴重な発見となりました。

一辺の長さが8mもある大型竪穴住居跡(SI51)。32畳分の広さがあります。 竪穴住居跡(SI52)から出土した土器。
十郎田遺跡で見つかった約1,300年前(飛鳥時代)の集落の様子。オレンジ色の線が材木を立て並べた塀の跡です。塀で区画された内部や周辺で竪穴住居跡や掘立柱建物跡が見つかっています。

DATA
所在地 蔵王町大字小村崎字十郎田
時代 飛鳥時代(7世紀後半頃)
種類 集落跡
遺構 竪穴住居跡・掘立柱建物跡・材木塀跡・大溝跡など
遺物 土師器・須恵器など
見学メモ
熊野神社付近から南東に向かって伸びる細長い丘の一帯が遺跡です。
現地には説明看板を設置しています(幹線農道沿い)。
遺跡の現状は水田・畑地です(発掘調査をした場所は農業用の水路・道路になっています)。

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