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に  し  う  ら  い  せ  き
六角遺跡
えんだしきどき ながくびつぼ
奈良時代初頭の開拓移民の集落

西浦遺跡で見つかった長頸壺(ながくびつぼ、東北大学蔵)

 太平洋戦争が終わって間もないころ、西浦地区の畑地で完全な形をとどめた一個の壺が発見されました。この優美な姿の壺は、東北大学の伊東信雄教授(当時)の研究によって今から約2,000年前の弥生時代後期初頭の土器と認定され、当時の円田村(えんだむら)の村名から「円田式土器」(えんだしきどき)と命名されたのです。

 この壺は長頸壺(ながくびつぼ)と呼ばれ、そろばん玉のような形の体部から細長く伸びる頸(くび)が特徴です。体部の上半分には細く鋭い平行線で山形の文様が描かれ、下半分には縄文が付けられています。表面には赤い色が塗られていたことから、特別な使われ方をした土器だったようです。

 その後の研究で、「円田式土器」は主に蔵王町内の円田盆地周辺や村田町などの限られた地域の人びとが使用していたもので、仙台平野や福島県西部などの地域との交流の中で生まれたと考えられるようになりました。

 一個の壺の偶然の発見から、二千年前の東北地方南部の人びとの交流の様子をうかがい知ることが出来るようになったのです。西浦遺跡ではまだ本格的な発掘調査が行なわれていないため、当時のムラの様子は明らかになっていません。「円田式土器」を携えた人びとの暮らしぶりがどのようなものだったのか、謎の多い東北地方の弥生時代の文化を解明する重要な手がかりを秘めた遺跡です。

現在の西浦遺跡。松川に沿った平地にあり、松川を挟んだ写真奥には青麻山が見えます。

(土器の写真は「蔵王町史 通史編」より引用しました)

DATA
所在地 蔵王町大字円田字西浦
時代 弥生時代後期
種類 集落跡
遺構 未調査
遺物 弥生土器・石器など
見学メモ
ございんホール(蔵王町ふるさと文化会館)南側の畑地一帯が遺跡です。
標柱等は設置されていません。遺跡の現状は水田・畑地・宅地です。

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