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蔵王町・真田の郷PROJECT―トピックス

特別展「仙台真田氏の名宝U」開催!


特別展の目玉展示資料「真田幸村公所用具足」

前日の展示準備も順調に進み、いよいよ4月20日。特別展開催の日を迎えました。


まずはオープニングセレモニー。関係各位をお招きしてのテープカットの後、ざおうさまのエスコートで初入場〜!


展示会場は、蔵王町ふるさと文化会館の展示室。広さ32.7平方メートル、わずか20畳ほどのスペースに、仙台真田氏伝来の貴重資料33点が詰め込まれています。


開催を記念して、仙台真田氏ご当主・真田徹氏に資料解説を行っていただきました。


午後からは、特別展開催記念の歴史セミナー「真田のギモンに答えます! 仙台真田氏何でもQ&A!」を開催。仙台真田氏ご当主・真田徹氏と、仙台真田氏歴史研究家・小西幸雄氏を講師に迎えて仙台真田氏の歴史を掘り下げました。


この歴史セミナーでは、小西先生の研究成果に基づき以下の最新情報が報告されました。

(1)これまで、大坂夏の陣の直後に伊達政宗・片倉重綱を頼った幸村公の子女は「お梅」「おかね」「お菖蒲」「女子(名前不明)」「大八」の5人とされてきたが、研究の結果「お梅」「お弁」「おかね」「女子(名前不明)」「大八」の5人である可能性が高まった。
(2)「お梅」の出生順について、通説では三女となっているが、白石市にあるお梅の菩提寺・当信寺所蔵の「当信寺萬記録」によると、お梅自身、自らのことを幸村五女と称していることから、実際は五女であった可能性が高まった。
(3)これまで幸村公の子女として名前が出ていなかった「お弁」は、白石に暮らした後、彦根藩士青木朝之に嫁ぎ、元和6年(1620)に彼の地で死去した人物であることがわかってきた。
(4)「お菖蒲」については、これまで、大坂夏の陣の直後から白石に暮らしていたとされてきたが、寛永13年(1636)までは京都に暮らしていたものを、片倉重綱が白石に招き、自らの養女とした上で片倉定広(三春田村家の正統末裔)に嫁がせたものであり、お梅たちと同列に白石と関係を持つに至った人物ではないことがわかってきた。

これらの研究成果は、小西氏ご自身がこれまで発表してきたことを自ら覆す内容となります。
その点について小西氏のお気持ちを伺ったところ、
「私が求めていることは、より正確な歴史を解明し世に出すことです。過去の自分が言ってきたことに反する結果が得られたとしても、それがより正確なものであれば訂正して、改めて世にお出しするのが当然でしょう。」
とのことでした。

本町では、今回発表された成果を適宜取り入れながらPRを進めていきたいと思います。


「ざおうさまじゃ。今回は特別展のオープニングに招待されたんじゃ。ワシも、普段は杖の先に果物をくっつけているんじゃが、今回は六文銭をつけてきたんじゃ! ほほう、これがあの幸村公の甲冑か! 大迫力じゃ!  みんなもぜひ見に来るんじゃよ」




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