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解明進む西浦B遺跡−縄文ムラの豊かな暮らし
 
 いま文化財整理室では、西浦B遺跡の整理作業が進められています。整理作業は、発掘調査で出土した土器や石器を修復して図面を作成したり、現場で記録した図面や写真をまとめて「発掘調査報告書」を作る作業です(詳しくはトピックス「発掘調査のその後で−発掘調査報告書ができるまで」をご覧ください)。この整理作業によって、西浦B遺跡を残した人びとが、ここでどんな暮らしをしていたのかが解明されていくのです。
 少しずつ見えてきた、西浦B遺跡の縄文ムラの様子をご紹介しましょう。

広場のある縄文ムラ
 
竪穴住居跡 建物跡 土坑(食糧貯蔵などに使われた穴)

 
  パソコンを使った遺構配置図のトレース作業
 上の図は、発掘調査現場で記録した図面をもとに、パソコンを使って作成した「遺構配置図(いこうはいちず)」です。この図は、遺跡の中で竪穴住居や建物の跡などの「遺構」が見つかった場所を示したもので、当時のムラの様子を知るための大切な手掛かりとなります。
 オレンジや赤色に塗られた部分が竪穴住居や建物の跡、緑色の部分が食糧の貯蔵などに使われた穴の跡です。このほかにも、柱穴などの跡がたくさん見つかっています。
 図を眺めてみると、オレンジ色の建物跡が弧を描くように並び、その外側に緑色の穴が点々と掘られたことが分かります。そして、これらに囲まれた中心には、柱穴の跡などもほとんど見つかっていない空白部分があったようです。ムラの中心となる広場だったのかもしれません。
 ムラにはどんな建物が建ちならび、たくさんの穴の中にはどんな食糧が蓄えられたのでしょう。ムラの中央広場では、子どもたちが遊んだり、お母さんたちが手仕事をしたり、時にはムラびと総出のおまつりがくり広げられたりしたのでしょうか。
 はるか昔の縄文時代の人びとの暮らしぶりに、想像がふくらみますね。


交流を物語る土器や石器
 
  種類ごとに選別された土器
 
  土器の拓本を取る作業。土器の表面につけられたさまざまな文様を写し取っていきます。
 
  石器の実測作業。どんな手順で作られたのかを観察しながら、図化していきます。
 発掘調査では、たくさんの土器や石器が出土しました。これらは、水洗いをしたり、破片をつなぎ合わせたりした後、専門の調査員が種類ごとに分類します。
 分類した土器は、拓本を取って文様を写し取ったり、実測図を作成して土器の形や文様を図化していきます。こうした作業を進めるにつれて、新しいこともわかってきました。
 出土した土器は縄文時代後期の初め頃(今から約4000年前)のものが中心ですが、一部には同じ時期のほかの地域の土器に似た文様をもつものも含まれているようです。もう少し細かな検討が必要ですが、どうやら福島県方面などとの関係がありそうです。
 石器は、河原などで採集した石を割って作られています。材料はどんな石でも良かったわけではなく、石で叩いた時に薄く剥がれて鋭い縁辺の得られるものを吟味して選んでいました。
 東北地方の縄文時代の人びとが好んで使ったのは「頁岩(けつがん)」という石です。頁岩は蔵王町周辺には少なく、良質な頁岩のほとんどは奥羽山脈を越えた山形県方面から持ち込まれていました。
 出土した土器や石器の細かな観察と分析の作業から、縄文人のダイナミックな交流の様子が浮かび上がってきます。

※上記の内容は、更新日現在における整理作業の途中経過を速報的にご紹介しているものです。今後の整理・分析の進展によっては、内容や見解に変更が生じることがありますので、引用・転載はご遠慮ください。
平成22年6月9日更新
 
 

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